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「ワークスタイルは“主役主義”。定年退職なんて制度はとっくにやめました」

★谷川製作所代表・谷川康夫さん(大阪府枚方市/各種銘板プレス加工一式)

夏は灼熱、冬は極寒。汗と油にまみれながら、黙々と機械と向き合う毎日。そんな町工場のイメージは、もうとっくの昔の話。自由にモノが言える明るい現場で好きな仕事に打ち込めるのが、今時のワークスタイルです。スタッフみんながものづくりにプライドを持ち続け、技に磨きをかけ情熱を注ぐ製作所スピリット。まさに「下町ロケット」そのものです。

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◆女性スタッフに配慮の理由

大阪府枚方市・枚方家具工業団地の一角。工場内に足を踏み入れると、ラジオ体操の真っ最中でしたが、すぐさま温厚な笑顔で迎え入れてくれました。いかにも気難しそうな職人さんを勝手にイメージしていただけに、まずはひと安心。今年71歳になった工場経営者、「インタビューなんて受けるのは生まれて初めてですわ(笑)」。

さまざまな種類のプレス機械が十数台。それぞれの機械と向き合うのは、意外にも女性スタッフ。町工場特有の油のにおいも耳をつんざくような機械音もありません。何よりも、働く女性スタッフの表情に険しさや悲壮感がないのが印象的です。「どんな会社の社長でも部長でも、家事を仕切っている奥さんのほうが偉いでしょ(笑)?仕事もそれと同じなんです。商品の品質が保てて生産性が上がるのであれば、仕事の進め方に関しては個々の女性社員に任せているんです」。1人に1台、足下にストーブが置かれているのも、工場の冷えから女性を守るための配慮だったのです。

プレス加工で生み出される商品は、家電製品の銘板(プレート)が中心。印刷会社から発注を受けて、デザインされたロゴマークやブランド名を、シールや銘板に加工。空気清浄機やスイッチ類のほか、自動車のスマートキーやスポーツ用品など、アイテムの種類は多岐にわたっています。鉄板のプレス加工が中心だった無骨な時代から、仕上がりの美しさが求められるアルミやプラスチックの時代へ。親会社である印刷会社との強力タッグが今まで持続できてきたのは、加工しながら検品も行う女性特有のきめ細やかな気配りの賜物かも知れません。

◆天国から地獄への日々

兵庫県香住町出身。もともと父親が土木の仕事をしていたこともあり、自身もその影響を受け高校卒業後は土木の道へ。第二寝屋川の開削工事や門真団地の宅地造成工事、さらにはJR学研都市線の複線工事など、大阪府北部のプロジェクト工事に参加。かたや父親は、プラスチック会社を定年退職後、プレス機械を数台買ってきて小さな町工場で内職を始めていました。「今振り返ってみると、これが創業当時の姿でした。でも自分は後を継ぐ気はありませんでした。自分で選んだ道ではないし、親が敷いたレールの上をゆくことに抵抗があったんでしょうか、後継者に興味はありませんでした」。

ところがある日、大規模なトンネル工事に駆り出されることに。しかも行き先は兵庫県の山間部で、「2~3年は帰ってこられない長期の仕事だったんです。まだ20代前半でしたし、これはさすがにまずいなと思いました(笑)」。それを見透かされたかのごとく父親から声がかかり、結果的にはプレス加工の仕事に本気で取り組まざるを得なくなったのです。

仕事はことのほか順調でした。当時大阪北部に本社を置く2大家電メーカーが特需景気を生み出し、ビデオデッキや家電製品が量産されました。銘板製作の発注も途切れることはなく、機械はフル稼働。特に「700万個以上のリモコン銘板の注文が殺到し、その売り上げだけで工場が建ちました」。

ところが試練はある日突然やってきました。2大家電メーカーが相次いで海外に工場を移したことで、国内生産は激減。小さな町工場はたちまちグローバル化の波に飲み込まれることに。周りでは廃業や倒産が相次ぎ、創業以来最大の危機に立たされました。

◆暇な時でも忙しいフリをする意味

「当時は、父の後を継ぐかたちで兄が経営サイドにいて、工場は閉鎖しようということになりました。国際化の波に勝てるわけがない、と。そんな中、唯一異論を唱えたのが私だったんです。国際化に勝てるとは思っていない。でもやり方によっては、生き残れる方法が必ずある、と」。国内にも需要があるはずだ。そう信じて、地道な努力が始まりました。結果、工場の実質的な経営を任されることになり、三代目が誕生した瞬間でもありました。

引き合いのあった仕事は断らない。単価が安くても喜んで受ける。納期が短くてもうまくやりくりして間に合わせる。納期がたとえ明日と言われても何とかする。代表として就任以来、この姿勢を貫きました。「“たとえ1万円の小さな仕事でも、200件あれば1年間の売り上げは200万円になる”という得意先の社長さんの言葉が背中を押してくれました。国内にはうちを必要としてる仕事がまだまだあるはず。市場はまったく変わってしまいましたが、技術さえあればきっとやっていけると信じていました」。

こんなこともありました。仕事が極端に少なかったころ、定時は午後3時。この時間になると、すべての機械を止めてスタッフは一斉に帰ってゆく。「そのあとも一人工場にいたんですが、電話がかかってくると決まって機械のスイッチを入れるんです。そしてガチャンガチャンという音が相手に聞こえるように機械のそばで話をする。そうすることで、うちは暇じゃないよということを相手にアピールしてました(笑)」。暇なところに仕事はこない。仕事がないんですと営業に回るのは逆効果。信念を貫いての奇策でした。

◆自他とも認める後継者との「共通点」

地道な取り組みが功を奏して、業績は徐々に回復。どんな厳しい納期も守り、若いころ学んだ金型製作の技術が、苦しい時に役立ちました。そんな評判が広がり、「金型のわかるプレス加工業者」として、得意先から大きな信頼を得ることになりました。品質の安定化や工程の省略化を推進し、同業他社にはないノウハウを構築。大きな強みとなったのです。

こうした原動力になったのは、いうまでもなく女性を中心としたスタッフ。苦しい時期に労苦をともにしたスタッフの努力に報いるべく、数年前から定年退職制度を廃止。もちろん給与額もそのまま継続という、雇用形態を実現しました。「働きたいと思ってくれる気持ちが大事なんです。だから定年後何年働いてくれてもいいし、いつ辞めてもらってもいいんです。ただみんな技術を持っているので、できればずっとい続けて欲しいんですがね(笑)」。

20代前半のころ、後継ぎになりたくないと強く思った気持ちは今も変わりません。かといって、工場を閉じるつもりもありません。そんなジレンマがありながら、「若いころから頑張ってくれている勤続15年の男性スタッフが後継者候補です。私との共通点?仕事が好きで現場が好きなことでしょうね(笑)。もしも問題が起きても、それを解決する喜びもわかってくれています。うちは徹底して主役主義。仕事を通じて得られる成功体験こそ財産。指示しないと動かないスタッフなんて一人もいません」。

明けても暮れても仕事が趣味。生活を支える工場でありながら、ずっと好きなことに没頭できるテーマパークでもあるのです。後継者のメドは立っても、自身の引退のメドはまったく立っていないことは、聞くまでもありませんでした。

(取材・構成/池田厚司)