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働くみんなを応援するワークスタイルオンライン

「どんな状況でも、お客さんの注文を断ったら負け。 だからどうすればいいか、常に考えています。」

★岩田悦典さん(株式会社セイワ運輸営業部長)

今や国内物流の柱として、社会的にも重要なファクターを担っているプロドライバー。「トラックの運ちゃん」なんて揶揄されていたのは昔の話。働き方改革も追い風となり、運輸業の多くは着実に時代の波に乗っています。そんな業界にどっぷり20年間。さぞかしブラックな時期もあったのではと思いきや、「なぜかずっとこの会社にいるんですよ(笑)」。会社の離職率は何と1%以下。厚労省が聞いたら、泣いて喜びそうな数字の職場を訪ねてみることにしました。

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◆ドライバーの自主性が原動力

冷凍の食肉や野菜・魚などの配送から仕分け・保管、オンラインによる受発注に至るまで、一貫体制。大阪市住之江区南港の前線基地で待機する車両のナンバープレートをみると、77や88、39などゾロ目や語呂合わせらしき番号が目立ちます。「ドライバーに好きな番号を選ばせています。誕生日だったり名前をもじったり、みんな思い思いに楽しんでくれています」。ドライバーにとっては会社の備品ではあるものの、そうすることで車両に対する愛着が生まれ、大切に扱う意識が安全運転にもつながっているようです。

車両は全部で32台。2トン車から10トン車に至るまで、すべてが冷凍車。特に2トン車や4トン車は、エンジン本体で冷凍機を作動させるため燃費が悪くなりがちですが、CO2削減を目的とした貨物輸送評価制度で2年連続「一つ星」評価を獲得しました。燃費向上を目指して、ドライバー自らが走行距離や給油量などを管理。燃費を競うドライバーも多く、安全面だけでなくコスト意識も高まりました。

ただ運転だけしていればいいとか、モノを目的地に運びさえすればいいという時代ではもうありません。常に物流現場にいるドライバーだからこそ、モチベーションの向上は必要不可欠です。

◆兄にフルボッコされた理由

大阪府堺市出身。小学生から高校生までは、野球一筋。ずっとピッチャーで好成績を残してきたことで、中学生の高学年ともなると高校の選択に迷いました。甲子園常連校への進学の話もいくつかありましたが、結果的に大阪市内のとある伝統校に決定。「行くのがすごく嫌だったんですよ。なぜかというと、OBに兄がいましたから(笑)」。小さいころから実兄が脅威でした。「そうですね、親より怖かったかも知れません。何があったらすぐに怒られましたし、原付の2ケツ(2人乗り)がバレた時はフルボッコでした(笑)」。いやいや、それに関しては叱られて当然です。

高校2年生の冬には、ちょっとしたやんちゃが災いして半年間の活動停止処分に。そのころはもう野球に未練もなく、半年間を「これ幸いの休暇と思って、練習も何もしませんでした(笑)」。ところが処分が解けて野球部に戻ってきたら、なぜかまたリリーバーとしての枠は用意されていたのだそうです。「練習で走らないといけないし、ピッチャーほどしんどいポジションはありません。もう野球は本当にやりたくないと心底思いました(笑)」。岩田投手にとっての現役引退。つい最近バットを置いた球界のレジェンドのように、「変わらなかったのは野球を愛してきたこと」とはいかなかったようです。

◆何くそという熱い思い

「観光バスを運転したかったんです。でも大型2種の免許を取るためには大型の経験が必要でしたから」というのが、この業界に入るきっかけでした。当時は働けば働くほど収入があった時代。コンビニや大型SCのドライバーとして、かつてのやんちゃぶりが帳消しになるほど精力的に働きました。「怖かった兄を見返してやりたかったというのもあります(笑)。何くそという思いは人一倍強かった気がします」というくらい、ドライバーという仕事を貫くことが、ある意味自分に課せた使命でもありました。

高校卒業後3年間、プロドライバーとしてのキャリアを積み21歳の時に入社。当時はもちろん最年少。「上司や先輩に、下っ端扱いされなかったんです。いつもほぼ対等。それまでの職場にはなかった働きやすい会社だなと思いました」。何より、「社長(三島和雄代表取締役)が、人を人としてみてくれることが大きかった」そうで、高速料金やガソリンなどの経費がいくら高騰しても、社員の生活水準を決して下げないというのが会社のモットーでした。普段からドライバー同士のコミュニケーションも良好、いわゆる風通しのよい職場。プライベートでも仲がよく、社員同士の自主的なリクレーションでも会社が資金補助してくれたそうで、離職率1%以下というのもうなずける気がします。

◆消しゴムのカスでできた山

去年、記念すべき勤続20年を迎えました。今ではドライバーの一線からは退き、営業部長として売上管理や得意先との交渉がメインで「嫌われ役に徹しています(笑)」。

「でも一度やめたいと思ったことがありました」。配車といわれる部署にいた20代後半のころ、「それぞれの車両にそれぞれ違った荷物を積んで、どういうルートで配送していけばベストかを考えドライバーに指示を出すんですが、当時はパソコンもなく配車はすべてアナログ。その日によって荷物も違い、ましてや途中で変更があればまたやり直し。家に帰れるのはいつも深夜2時ごろで、翌日8時には出社という過酷な状況でした」。体はとことん疲れているので夜中に目が覚めることはないものの、逆に尿意さえ気付かずそのまま粗相を、ということがほぼ毎日続きました。「何せ机の上には、消しゴムのカスが山になるくらいたまりましたから(笑)」。

結果、うつと診断され半年間の療養生活。今思い出してもゾッとする日々。そこまでして頑張れたのは、「お客さんの注文を断ったらもう負けですから」というシンプルな理由からでした。今ではシステム開発やAIの普及により、あれほど時間がかかっていた配車は瞬時のうちに完了。「いやあ、昔あれほど苦労したことが嘘のようです(笑)」。

目下の課題は、次世代の若い人たちを迎えるべく職場環境をさらに整備すること。プライドを持ちながら仕事が続けられる環境を整えること。「働くというのは、個々が安心して幸せなくらしを送ることですから」。

(取材・構成/池田厚司)