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「生まれ育った地元で仕事ができる喜び。もっと住む喜びを知って欲しいんです。」

★西上友和さん(大阪府堺市南区・株式会社ケイユウホーム専務取締役)

人口15万人を超える中核都市・泉北ニュータウン。泉ケ丘・栂・光明池の3地区に分布されつつ、それぞれのエリアではニュータウン誕生以前から住まう人々も少なくありません。祖父から子、子から孫へ。3代にわたって建設業を営む西上ファミリーも例外ではありませんでした。地元で生まれ育ってきたからこそ、築けた信頼という称号。家づくりに特化したワークスタイルは、これからも不変です。

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◆仕事も家系も地域密着型

新築やリフォーム、不動産、店舗改装など、住まいに関する仕事を一手に引き受ける地元密着型の建築関連会社。ニュータウンや和田川に面した自然豊かな場所が仕事場です。オフィスでは、お父様の代表取締役・慶一さんとデスクで向かい合いながら、日々仕事をこなしています。父子とはいえ、かつては叔父が経営する工務店で働いていた者同士。息が合わないはずがありません。

特筆すべきは、祖父もまた大工職人だったこと。「よく可愛がってもらいました。おじいちゃんっ子だったんです」。祖父の影響もあったのでしょう、そんな家系は自然に築かれていきました。父子の名前から一文字ずつ取ったカタカナの社名は、親子としても仕事のパートナーとしても、息子に賭けるお父様のただならぬ決意と期待の表れだったのでしょう。

現在はリフォーム業がメイン。ニュータウンのまちびらきからすでに40年以上が経過していることもあり、補修に伴う戸建て住宅の屋根工事や外壁工事などの発注が少なくありません。大工や左官、瓦職人など家づくりに関わる個性的な職人を束ねつつ、日々エネルギッシュに東奔西走。健康的な浅黒い顔に、精力的で真面目な仕事ぶりが表れています。

周囲には山々や田畑が今も数多く残る、市内としては自然豊かな環境。いわゆる旧村といわれる美木多エリアに拠点を起きながら、祖父の代から数えるとすでに90年近く。昔も今も大きな信頼を寄せられているのは、地域密着型のワークスタイルを貫いてきた結果でもあります。

◆あこがれや羨望とは皆無の日々

高層マンションや大型SCが林立するニュータウンの近代的な景観とは違って、周辺にはまだまだ自然がたくさん。のどかな風景で送る日々のライフスタイルがすべてで、新しいものへあこがれたり、うらやましいと思ったこともありませんでした。「最高に楽しかったです。稲刈りの終わった田んぼが遊び場でした。野球もソフトボールもゴルフも、全部田んぼで完結してました(笑)」。

ザリガニやウシガエルなど、生きものとの接触も数知れず。今も庭先にはメダカの飼育鉢があるほか、時折アマガエルがご機嫌伺いにやってきたりすることも。「飼っていたニワトリがイタチに襲撃されたこともありました(笑)」。ビルが建ち並ぶ都会のオフィスともまったく無縁。自然との共生は40数年経た今も不変で、そんな環境でたくましく育まれてきた自然児的な純粋さが、個性であり強みなのかも知れません。

自分が住む場所に対する愛着も人一倍で、中学生になっても高校生になっても「ここよりほかのほうがいいと思ったことは、1度もありませんでした」。すぐ近くにはニュータウンの誘惑がありますが。「(ニュータウンに)住む友達はたくさんいましたが、ただそれだけです(笑)。ここが好きなんです」。いやいや、電車に乗れば30分足らずでミナミにも出られるのに?「繁華街で遊びたいとは思わなかったです(笑)」。徹底して意志が強いのか、生まれ育ったところが純粋に好きな結果なのか。いずれにせよ、友達は多いほうがいいとの思いで「友和」と名付けた両親の思いが、好結果を生んだことには違いありません。

◆大工方で舞う「サル」

ブレない性格。その片鱗は高校へ行っても変りませんでした。部活はなし。アルバイトは親戚が経営していた焼肉店で1回のみで、ほかはすべて叔父の会社だけでした。もちろん、地元から出たいと思ったことは一度もなく、「将来は大工か建築の仕事に就きたいと思っていました。一貫して欲というものがなかったんでしょうかね(笑)」。

高校卒業後は、迷うことなく叔父の会社へ。叔父や父の指導のもと、大工の修業を7年間積みました。「毎日が充実していました。下積みの身でしたが、特別しんどいと思ったこともありませんでした。むしろ、大工といっても色々な仕事があるんだなと、覚えることがたくさんあり、すべてが新鮮で楽しかったです」。実際に仕事をしてみて、こんなはずじゃなかったと思ったことはなかったのでしょうか。「あるわけないじゃないですか(笑)」。高校の同級生もすっかり大人になり、色々な道を歩いていたと思うのですが。「ほかの仕事をしたいとか、あいつがうらやましいとか、まったく思わなかったです」。しつこいくらい詰問を試みましたが、あえなく撃沈。大人になっても、常に前向きな好青年であることが証明されたような。

上棟式の準備では、軽い身のこなしで上に登ったり下に降りてきたり。「母からはサルみたいやな、とよく言われました(笑)」。大工仕事にありがちなケガの経験もなく、病気に伏したことも皆無。地元で行われるだんじり祭では、大屋根に乗って舞う花形・大工方を20代前半から10年以上務めたこともあります。まさに大工冥利につきる表舞台。いつどこにいても、独特の存在感を示していたのはよほどこのまちが合っていた結果なのでしょう。

◆近い将来4代目誕生?

父親からの誘いを受けて独立したのは20代後半。平成17年10月でした。サラリーマン生活から、いよいよ経営者の道へ。父子で独立することに戸惑いはなかったのでしょうか。「お前どうする?このまま(今の会社に)残っても別にええんやぞと言われましたが、父の誘いを断る理由もなく二つ返事でOKしました」。ある日突然、おい!独立するからついてこい!とは決して押しつけがましく言わなかったお父様。新しい会社に息子さんが絶対必要だったからこそ、あえて逆効果な言い方をしなかったのでしょう。「自分にとってもチャンスだと思いました。このころは大工仕事だけでなく管理面の仕事もしていたので、さらにステップアップしたいという志もあったので」。

2018年9月に家屋などに大きな被害をもたらした台風は、建設業としての真価が問われた出来事でもありました。「あの時は大変でした。修理依頼と思われる着信履歴だけで220件もありましたから(笑)」。1カ月間、復旧工事に追われる毎日。ブルーシートの調達から雨漏りの修繕、そして瓦の調達と屋根工事。職人さんがなかなか集まりませんでしたが、とにかく現場に出向き屋根にも登り、自分のことのように対処しました。「口だけではなく自分が現場で動くことで、さらにお客さんが信頼を寄せてくださったのがよくわかりました。一にも二にも、お客さんのフォローやケアが最優先だと痛感した出来事でした」。

毎年お正月になると、近くの神社へ家族揃ってお参りするのだそう。「最近、3人の子どもたちが家を建てる仕事をしたいと言い始めてるんです(笑)」。思いもしなかった、うれしいご利益。また1代、家づくりを継承してくれるパートナー誕生も夢ではないかも知れません。

(取材・構成/池田厚司)