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「やりたいと思うならまず動け。文句を言っても何も変わらない。」

★本多 正さん(各種石油製品販売/三宮オイル株式会社管理本部取締役部長)

これまでの人生をひとことで表すと、ずばり「有言実行」。言うことは言うし、やることはやるタイプ。とはいえ、理屈ではわかっていてもなかなかできないのが現実です。今や押しも押されもせぬ、会社のナンバー2。しかも現場からのたたき上げ。還暦を目前に控え、赤いちゃんちゃんこが似合いそうにないほど、アグレッシブな毎日を送っています。

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◆関西初のセルフスタンド

JR神戸駅から山側へ有馬街道をひた走り。平家物語の伝説が残る神戸市兵庫区下三条町に本社がありました。ガソリンスタンドと事務所ビルが併設したユニークな建物構造。スタンドではスタッフ3人が対応し、ここに限っては今時珍しくセルフではありません。「いやいや、ここはそうですが関西で最初にセルフを導入したのはウチだってことをご存知ない(笑)?」。恥ずかしながら初耳でした。しかも20年も前からセルフを導入していたとは。今では主流のセルフですが、その礎を築いたのがこの会社だったのです。

ほかにも、過去に大手レンタルショップやコンビニ、ハンバーガーチェーン店などとのコラボにも成功し、全国初の災害対応サービスステーションも確立。JXTGエネルギー株式会社の特約店として、神戸市を中心に10店舗のグループネットワークを展開中です。

ガソリン部門だけではありません。太陽光発電や住宅設備といったジャンルにも踏み込みつつ、大手家電量販店ともタッグを組むなどして、新しいものに果敢にチャレンジすべく多角的な展開を図っています。

創業は昭和22年9月。戦後間もない三ノ宮の中心部で、夫婦2人だけで灯油やガソリンの販売を始めたのが最初でした。現在社員は約60人、アルバイトは約150人。「従業員が働き甲斐を見い出せるように、就業規則や評価基準を見直すなどして職場環境を整備していくのが主な仕事です」。長年、現場で培ってきた経験が、今確実に実を結びつつあります。

◆住まいと職を探し求めた神戸の旅

現在59歳。福岡県北九州市出身。3人兄弟の末っ子。高校卒業後は地元で4年間働いたのち、訳あって友人と2人でフェリーに乗り込み一路神戸へ。「たぶん九州に帰ることはないなと思いました」。20代前半、覚悟を決めて臨んだ関西上陸でした。初めて故郷を離れて大志を抱いていたのでしょうか、このころからすでに有言実行の精神がコンプリートされていたのかも知れません。

神戸観光の時間も惜しんで仕事を探す日々。「とりあえず寮が完備されていて、しかもご飯が食べられる仕事を必死で探しました(笑)」。仕事内容は不問。住む場所と食べるものが確保できればノープロブレム。まずは住み込みが可能なパチンコ屋の門を叩きました。「あんたらなあ、仕事探すんやったらちゃんとハローワークへ行っといで、と店長らしきおばちゃんにダメ出し食らいました(笑)」。あえなく撃沈。続いて、運転手なら採用してくれるだろうと運送会社へ。「運転ができても神戸に土地勘ないからNGと、また断られました(笑)」。

神戸でのリクルートは意外に不発続き。「昼間は軽四で仕事を探して、夜は公園の駐車場に車を停めて寝るという生活でした。2月の寒い時期だったので、寝る前に飲んでいたワインがヤバかったのでしょう、パトロール中のお巡りさんにめっちゃ不審がられたこともありました(笑)」。

その後色々職探しをしたもののうまくいかず、そしてたどりついたのが現在の会社だったのです。もちろん寮完備。賄いOK。でもまたダメだろうと面接を受けたら、何と即決。「しかも今日からOKということで、幸運にもその日に寮に入れてご飯も食べられたんです(笑)」。まさかの展開。自身のワークスタイルである「有言実行」は、この時に即決してもらえた恩恵に起因しているのかも知れません。

◆阪神淡路大震災で学んだこと

「給油スタッフを皮切りに、がむしゃらに働きました。どんな仕事でも一生懸命やるというのが自分のポリシーでしたから」。高卒よりも給与が低いことに直談判したことがありました。仕事量なら決して劣っていないという自負もありました。何より、人には負けたくないという強い気持ちが、自身を支えてきました。「人間、やる以上はてっぺんを目指さないと意味がありません。でも2度、本気で辞めようと辞表を書いたこともありましたけどね(笑)」。

1995年1月17日早朝。阪神淡路大震災発生。32インチのテレビが枕元に落ちてきて目が覚めました。何が起きたのか理解できないまま外へ飛び出したら、高台にあった寮から見下ろした光景はあまりにも衝撃的でした。まちは壊滅状態となり、火災の黒煙があちこちで上がっている惨状を、呆然と眺めるしかありませんでした。

幸い社員に犠牲者はありませんでしたが、ガソリンを買い求めてくる車の列がどこのスタンドでも10数キロ以上。電源が使えないため、手回しのポンプを使って1台20リットルのみの限定販売。「みんな必死でした。非常事態で、残念ながらお客さんには答えられませんでした。なぜ20リットルしか売らないのかとか、何時間待たせるつもりなんだとか。胸ぐらをつかまれても謝るしかありませんでした」。

幸いだったのは、どのガソリンスタンドも出火したり爆発したりすることがなかった点。改めてガソリンスタンドの安全性が認められた結果となりました。エンドユーザーに頭を下げる時は誠意を持って対応する必要性と、確かな安全性が立証されたことに対する自信。震災発生時のこうした体験が大きな教訓となったのは、いうまでもありません。

◆待っていても環境は変わらない

40歳で次長に昇進し、店頭勤務から本社勤務へ。45歳で部長となり、ついにナンバー2に。どうみてもオフィスでじっとしているタイプにはみえませんが。「店頭を回ることが多かったです」。でしょうね。「仕事は自分で探すものですから」。部下からの信頼も厚かったとお聞きしていますが。「失敗してもいいから言うべきことは言う、その代わりやることはやる、ということをよく言ってきましたから」。社員みんなが目指す理想の上司として、信頼関係はしっかり築かれてきました。「こうみえても結構寂しがり屋なんですけどね(笑)」。

毎朝、一人で本社前付近の歩道掃除を欠かしません。ハロウィンの日には、施設の子どもたちを招いてお菓子をプレゼントするなどの地域貢献も。社員を富士山登山に連れて行ったり、明石市の大蔵海岸でバーベキューパーティをしたり、福利厚生面でも充実させてきました。「働くとは、生活水準を上げていくこと。社員が潤えば、結果的に会社の利益向上にもつながりますから」。管理職でありなりがら、常に社員の幸福を考えて今何をすべきかを日夜思案中。「この年で独身でいるのも、そんなことばっかり考えているからかも知れませんね(笑)」。

昭和ではがむしゃらに自分のために。平成では本音で部下のために。そして令和では新しいことに挑戦しつつ会社のために。若者の車離れが進み、燃費が重視される今日、会社を取り巻く状況は決して楽ではありません。「陰で悪口を言ってるだけでは何の進歩もありません。待っていても、環境は絶対変わらないからです」。まさに会社の潤滑油。本多オイルの真髄が、ここにあります。

(取材・構成/池田厚司)