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「やるか、やらないか。ただそれだけ。チャンスは誰にでもあるんです」。

――山内栄人さん(神戸市/40歳・人材ビジネス経営研究所代表)

2016年12月に起業した経営コンサルタントの山内(やまのうち)栄人さん。現在100社近くの人材派遣会社を対象とした勉強会を組織し、日々精力的に活動を行っています。かつてはニート生活でネットゲームや車に熱中し、就職活動にもことごとく失敗した苦い過去も。ある小さなきっかけで、ニートを脱出し工場における派遣労働も経験。結果、「派遣スタッフこそ宝である」という持論を展開する、今や“現場のわかる経営コンサルタント”として注目されています。

 

◆ニート生活と40通の履歴書

「今彼女と別れでもしたら、マジで即死やと思ってました(笑)」。20代前半で自動車雑誌編集の会社を辞めたあと、当時交際中の女性だけが頼り。「まさにヒモのような生活でした(笑)」と当時を振り返ります。

※山内さん提供写真

典型的なニート。外出もほとんどせず、ひたすらネットゲームに明け暮れる日々。好きなことや興味のあることがみつかったら、とことん調べないと気が済まないタイプ。「そういえば、小学生の頃に流行っていたミニ四駆をもっと速く走らせるのはどうしたらいいか、図書館に何度も足を運んだこともありました」。

※山内さん提供写真

就職情報誌を頼りに、ざっくりした就活。営業などのノルマのある仕事や外回りは苦手。かといって、字が汚いからとの理由で事務系の仕事も嫌。出した履歴書は40通以上全部紙くずに。かといって、さほど落ち込むこともなく、軌道修正を試みるのでもなく。現実から逃げていたとしか思えない日々の毎日でした。

そんな時、交際女性から突然の求婚宣言。「え、なんでこんな時に?って思いました」。それが人生の大きなターニングポイントになるとは、この時は知る由もありませんでした。

 

◆自らのライフチャートに大発奮

ニートであるがゆえに、自分には無縁だと思っていた結婚の二文字。いまだ宙ぶらりんの就活、本気にならないはずがありませんでした。そして試行錯誤の末にたどりついたのが、自分自身のライフチャートでした。20代には結婚し30代前半で子どもが2人いると仮定した場合の計画書でした。「そこでやっと気がついたんです。2人の子どもが大きくなる20年後には、かなり稼いでおかないとあかんやん、って(笑)」。

表計算ソフトでつくったごく簡単なものでしたが、目標をどこに置かないといけないか、そのためには何をしなければならないか、誰がみても理解できる明確な資料でした。一般的に、目標達成のためには計画を立てて取り組まないといけないとよく言われますが、まさにこれがそうだったのです。

思わぬところでみつかった、気づき。もうニートに甘んじているわけにはいきません。かくして、「こうなったら、えらくなるしかない(笑)」と強く心に誓いました。ありとあらゆる方法で調査を行い学習に反映させ、20年後の自分像を追い求める日々。今だからいえることですが、実はあの時、無謀とも思える求婚宣言によって1人のニートを奮起させたのは、ほかならぬ現在3人の子どもを育てている奥様だったのです。

 

◆目先のことより将来を

自身の計画によると、34歳までは学ぶことに焦点を置いた期間でした。ネットゲームでパソコン操作には自信がありましたが、それが即就職というふうには考えませんでした。「お金が一番必要な20年後も、その仕事で食っていけているのかどうか疑問だったんです」。この判断は意外でした。普通、手に職があればすぐに就職、と結びつきたくなるものを、そうはしなかったからです。物事を短絡的に考えず、あくまで計画的に。その結果、稼ぐためには「営業力やマネジメント力、そして数字が強い能力が必要」だと自覚するようになり、約1年間のニート生活に終止符を打つことになったのです。

就職したのは、社員教育に熱心な人材派遣会社でした。何より、「この環境なら、自覚した能力を身につけられると思ったからです」。ところが厳しい現実が待っていました。根っから嘘をいえない性格が災いして、営業トークが営業トークでなくなり、「言わなくてもいいことまで、営業先で色々と話してしまったんです(笑)」。営業先のあちこちから届くクレームの嵐。入社わずか半年後、辞めるか工場勤務か、二者選択を迫られました。

そして選んだ道は、工場への配置転換。「辛くて辞めたいと何度も思いました。でもそんな辛さはいつまでも続くわけではありません。むしろ、今辞めたら一時的に楽になっても、それだと20年後の目標は達成できないことになります」。ここでの判断も極めて冷静でした。対人関係やパワハラなど、会社が嫌になることが多々ある昨今ですが、「ちゃんと目標を持っていれば、意外と切り抜けられるものです」。目先のことだけにとらわれていると、大きなチャンスを逃してしまうことになりかねない、と。

 

◆バッシングに屈することなく

パソコンを製造している派遣先の工場では、200人ものスタッフが働いていました。そのほとんどが派遣社員でした。挙げ句、「待っていたのは、社員という立場がゆえのいきなりの総スカンでした(笑)」。社員のくせに仕事ができない、社員なのに何をしてるんだ、とバッシングの連続でした。

ここでも苦汁を舐めますが、その後工場ラインのサイクルタイムを短くすると、今以上に効率が上がることに気づきました。「まるでサーキットのピットみたいやな、と。そう思うと、昔から車が好きだったので、仕事が楽しくなってきたんです」。その結果、効率化の実績を何度もつくったことで工場の改善が少しずつ進み、工場利益が赤字から黒字に転換。リーダーや工場責任者を経て2年後に営業に返り咲いたのです。

現場経験に裏づけられた、数々の提案や改善。その実績は内外ともに高く評価され、各方面から講演やセミナーの依頼が増えました。稼げる仕事イコール経営コンサルタントという図式も、しっかりみえてきました。その後、短所是正ではなく長所を伸ばすという独自のコンサル学に感銘を受け、船井総合研究所に入社。人材派遣会社のコンサルを中心に、計8年間在籍。ここでも数々の実績を築き上げ、2016年12月に独立。人材ビジネスに特化した経営コンサルタントとして、大きな一歩を踏み出しました。

40歳の起業。当初目標としていた45歳より、5年も早く到達しました。

 

◆潜在的能力を秘めた派遣にチャンス

現在、高付加価値型アウトソーシング研究会を主宰。100社近くの人材派遣会社で組織された勉強会を開催しているほか、16社の顧問契約も含めて順調な滑り出しをみせています。

これまで経験したことを生かした、現場寄りのコンサルが何よりの強み。「私自身がそうでであったように、ニートや派遣というと、いいイメージはありません。エリート街道を歩いてきた社員こそが花形で、それ以外はラインアウトされているのが現状です」。でも実はそうしたラインアウトされた人たちに限って、とてつもない潜在能力を秘めていると分析します。何か特定のものに集中して取り組んだら独創的で、とてつもない力を発揮する可能性を含んでいる、と。もっと派遣にもスポットを当てるべきだ、と。

決して机上の空論ではない地に足の着いた発想と思考が、この1年間で多くの人材派遣会社の共感を呼びました。これまで、多くの現場を経験してきたからこそ説得力があります。

「AI(人工知能)の進展や少子化で、労働者は確実に減る時代に入っています。今こそ彼らにチャンスがあるんですよ。もう学歴や職歴は重要ではなくなっています。要は、やるかやらないか。それだけのことなんです」。こうした持論によって、既成概念を打ち砕かれ意識改革につながった人材派遣会社は数知れません。このような波が多くの企業を巻き込み、派遣に対する意識が変われば社会もきっと変わっていくのでしょう。

「自分の持っているものは、全部さらけ出さないと信用は得られません」。自身が理解できた言葉しか使わないという、わかりやすいコンサル。経験豊富で現場をよく知っている人ほど、決してノウハウや知識を出し惜しみしないものなのです。

 

◆やらないと何も始まらない

15年前、ニート生活脱出のきっかけとなり、運命をも変えてしまった求婚宣言。もしあの時、気づきもなく何もやっていなかったら、「間違いなくヒモ生活続行か、のたれ死んでいたでしょうね(笑)」。

やるか、やらないか。人生を生き抜く術(すべ)は、意外にもごくシンプルなものだったのです。

 

(取材・構成 池田厚司)