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「お金は大事やけど、それ以上に大事なものもあるんですよ!」。

★南 大介さん(大阪市東成区・46歳/「輪食亭 ど鍋や」オーナー)

むかし土木業、いま居酒屋。そしてむかしもいまも、レゲエ一筋。大阪府の南部・泉州というエリアで生まれ育ち、刻んできた半生は波瀾万丈そのものでした。人生に幾度となく訪れるターニングポイント。誰にでも起こり得る試練。その生きざまに耳を傾けていると、「生きることは正しく生きること」というメッセージが聞こえてきます。

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◆中学生で月収10万円

初めてアルバイトを経験したのは中学生でした。しかもブロック積みや土嚢積みなど、工事現場で大人に混じって土まみれに汗まみれの日々。「月に10万円は稼いでましたよ(笑)」。わずか10代の少年、中学生にしてはあまりにも羽振りがよすぎました。

地元の府立高校へ進学すると、1年目からクラスメイトとはなかなか馴染めませんでした。「だって、みんな頭のいいやつばかりでしたもん(笑)」。結果、学校へ行くより地元の友人と遊ぶ時間のほうが長くなり、留年を経て結局定時制のある別の高校へ転校することに。同時に大工として職人の道を選び、仕事が終われば工事現場からそのままバイクで学校へ直行する毎日が続きました。「学校は休みましたが仕事は休みませんでした(笑)」。

◆挫折から脱却してつかんだステイタス

やっと生活が軌道に乗りかかったころ、バイク事故で瀕死の重傷を負いました。幸い一命はとりとめたものの、集団危険暴走行為未遂の罪にも問われ、さらに免許取り消しで保護観察処分に。結果、卒業を待たずして中退を余儀なくされました。「バイクの免許がないと、現場から学校へ直行できませんでしたから」。

初めて味わった大きな挫折。その後、知人の紹介などを通じて土木の下請け仕事に就きました。17歳で、大工仕事の中でも一番きついといわれる型枠大工を経験。それでも、休むことなく働く仕事ぶりが認められ、元請けの建設会社へ。真面目に仕事をすれば高収入が得られる業界で、20歳そこそこで月収は50万円以上。24歳で職長クラスに昇格し、念願の新築一戸建てを手に入れました。時代がよかったことも、追い風になりました。

「お金のためだけやなかったです。南阪奈道路の建設工事で現場監督をしていた時、会社も仕事も違う多くの職人が同じ目標に向かってモノをつくっていることに、心が震えたんです」。それまで田んぼや畑しかなかったところに基礎を打ち込み、少しずつかたちになっていく。やがて道路が完成し、多くの車が行き交い生活に欠かせない存在となる。壮大なプロジェクトに関わったことに気づき、「俺はなんというすごいことをしたんやろうと、自分の仕事に誇りを感じたんです。日本の土木技術は世界一なんです!」。

かつて暴走行為を繰り返していたヤンチャの面影は、ひとかけらもありませんでした。

◆フィリピンパブを転機に「これでよかった」

転機は思わぬところでやってきます。当時いた建設会社の社長から、フィリピンパブを突然任されたのです。「えっ、なんで自分が?という気分でした。しかもなぜフィリピンパブ?と(笑)」。まさに青天の霹靂。これまで社長に多くの恩義があり断るわけにはいかず、店長を引き受けることに。「断ったらシバかれますもん(笑)」。

ところがいざやってみると、「嫌なところをたくさん見てしまったんです。とても店長どころではありませんでした」。もともとキャバレーやガールズバーなどに興味がなかったこともあり、何もかもが苦痛の連続。夜の世界にはこんな裏もあったのか、と。

結局、1年足らずで店長から身を引いたものの、戻る道がありませんでした。こうなったら、もともと興味のあった飲食業界で本気で頑張るしかない!と決心。とある鍋屋さんで修業しを重ね、念願のフランチャイズ経営のスタートを切ることができました。

結果、2007年10月に開業。生活基盤を大阪市内に移したことで、過去とも決別することになりました。

「もしあのまま土木の世界でいても、どうなっていましたやら。色々事情があって、途中で仕事が嫌いになりかけてましたので、自分が楽しんでやれる仕事がしたい!と思い、この仕事を選んだんです」。後悔は一切なし。遅まきながら、やっと着地点がみつかりました。

◆自身を支えてきたレゲエという存在

食材のほとんどが国産。オリジナルの鍋料理を始め、宮崎発祥の「手羽先番長」も人気に。ユニークな炙りかすラーメンなども話題を呼び、去年オープン10周年を迎えました。「10年なんてアッという間でした」。

激変を繰り返す年月の中で、変わらなかったのはレゲエの存在でした。「ブッキーランキン」のアーティスト名で、かつては「日本のジャマイカ」といわれた地元で仕事と平行してレゲエバーを経営し、ライブ活動は全国を席巻。関西の有名タレントや歌手ともコラボするなど、その勢力は今も健在です。「レゲエだけは捨てなかった。人も自分も元気になれましたから」。ちなみに奥様(通称ともちゃん)も、かつて全国のライブ活動で知り合ったファンの一人で、いかにレゲエの存在が大きかったか、うかがい知ることができます。

体もでかいし声もでかい。そんなパワフルすぎるキャラに加えて、曲がったことが大嫌い。「仕事がしんどくなったら、かつて自分たちがつくった高速道路の橋桁を見に行くことがあります。そうすると平常心を取り戻すんです」。

過去は決して消えませんが、自身の大きな功績として残っている立派な過去だってあるのです。

(取材・構成/池田厚司)